若本千穂さんが大学生の時、父昭司さん(当時55才)が日航ジャンボ機に乗って居て「御巣鷹の尾根」で犠牲になった。 事故現場の「御巣鷹の尾根」に登り始めたのは一人息子が小学生になった頃で、以来息子と毎年足を運んでいると言う。
35年前の8月、御巣鷹の墜落現場で目撃したカメラマン(小平尚典氏)に拠れば、
『残骸の中から白い手が一度だけ振られ、ピカッと指輪のリングが光った。 良くも負傷しながら、最後の力を振り絞って手を振ったものだ! 兎に角生存者がいることが判ってからの救援隊の行動は素早かった! いつの間にか長野県警や自衛隊が集まって来て、吉崎博子さん美紀子さん母娘、落合由美さん、川上恵子さんの4人が救出された-
そこは「すげの沢」と言う場所で、機首から山頂に衝突したことで胴体の後部だけが山の「沢」に後ろ向きでなだれ込んだ形で、木々がクッションの代りになり最後部に居た4人が助かったと推測』
とのことだが、上野村に住む親戚の光市(みつのり)君に拠れば、
「(日航機が)落ちたニュースを見たとき、長野県を捜索していたがキット御巣鷹だよ!と思った。
もっと早く要請が来れば、多くの生存者が助かっただろうに・・・」と今でも言う・・・
ところで救助された川上慶子さんだが、その後マスコミに翻弄されながらも亡くなった母親の仕事を継ぎ看護師となり、阪神淡路大震災では現場で救護に奔走し、趣味のスキューバダイビングで知り合った米国人と結婚された-そうですが、慶子さんの証言によれば、
『突然トイレの辺りがビリっと音がして、その後バーンと言う音と共に(飛行機の)天井が吹っ飛んだ。 斜め後ろに1m四方の穴が開き、白いものが一杯出て来た・・・ 口の中が痛くなったけど、暫くしたらシビレも無くなった。 後ろの穴からプロペラがゆっくり回っているのが見えた・・・酸素マスクが落ちて来たので着けた。 お父さんが「慶子!頭を下げろ!と叫んで、私と咲子、それにお母さんの3人を両手で抱き抱えて守ってくれました。 そして急降下して行きました・・・
落ちるとき、「お父さん苦しい!」と言うと、お父さんは「ナイフを使ってベルトを切れ!」と言った。
落ちたとき、私の上には蜂の巣のようなものでボルトが一杯出たものが在って、痛くて動けなかった。 お父さん動けないよォ!と言うと、「お父さんも身動きが出来ない・・・」と言い、私の右腹に折り重なっていたのでどけようとすると、お父さんは動かなくなっていた・・・』
機体のハイテク化が進み、航空死亡事故は減少傾向だが、事故の教訓は次世代に継承されなければならない。
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