今日令和2年2月23日は天皇誕生日なのだが、それでは去年の天皇誕生日は?と言うと、「無かった」のだ。 明仁殿下が上皇になられた日が去年の4月1日だったので、「前天皇(上皇)誕生日は一昨年の12月23日」だったのだ。
で、雑学のために「今日は何の日」で検索すると、イツモの通り「語呂合わせ」で、
● 「風呂敷の日」と ● 「富士山の日」
と在った。 確かに「2/2/3」はフ・ジ・サンだが、風呂敷は?というとフ(2)・ロ(6)・シ(4)・キ(⁉)⁇⁇ アレ!と思ったら「2(つ)2(つ)3(み)」だそうだ。
京都ふろしき会と日本風呂敷連合会が2000年に制定した-のだそうな・・・
話は変わって、
何と無くBS日テレTV番組「老いて輝く未来のために」を見た。
僕が是非ともやりたいテーマなので興味深く見ていたが、年金を含め与えられた仕組みの中で(老後の)生活をしていたのでは「ヒト社会」では無い-と言うことだ。
それはホモサピエンス・サピエンスの宿命なのだ。 「飢餓」が本質的に在るため、常に新たなモノへの憧れと探求心が必要なのだ。
「考えて進む」必要が在るのだ。
「年金(制度)」一つとっても、定年退職後の「与えられた生活費」では到底持ち応えられない筈で、それはeaterの為せるものだからで、payerたるべきなのだ。 制度そのものは否定しないが、生きる、生きている証として生産しなければダメで、生きている証に年金を払う必要が在るのだ。
自分で、自分達で考え活動し生活する-
学問的には判らぬが、自分達の「今」を自分たちで拵えて行く-老年学(gerontology)の実践だ。
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