今日の昼飯

 降雪を期待していたが昨夜から雨で、パート先の仕事も降雪を予想して繰り上げ配達したので、今日は休業状態だったが、昼飯は何時ものように外メシにした。

 今日の主食は栗ご飯で、主菜がブリ(イナダかな?)の、しかも圧力鍋で煮込んだ味噌煮なので骨まで丸ごと頂いた。  副菜は八つ頭の煮物、油揚げと昆布、ダイコン、ニンジンの煮物と副副菜に栗きんとん。  勿論、飲み物はア・マ・ザ・ケ

 で、食べ始めようかとしている時、フルヤさんが入って来た。

店主とフルヤさんの会話を耳にしながら食べ終わろうとしていると、テーブルにフルヤさんが1冊の本を出した。  題名は「ガイアの法則」で、「宜しかったら、どうぞ・・・」

 折角では失礼かと借りて読んだが、著者は千賀一生氏。 プロフィールを見ると、舞踏芸術家、作家、「わの舞」「和学の会」主宰-と在る。

内容は、紀元前4000年頃から紀元前2000年頃までメソポタミア文明の基盤を構築したシュメール人の優れた叡智とその文明の驚きを記した冊子なのだが、読み終えての感想としては、著者の意向とは異なる「ある種の幼さ」が残ってしまう。

人類は、「(常に)進化する」とすれば、今から6000年も前(紀元前3800年頃)に、天文学、数学、美術、宗教に加え、文字の発明、社会機構や軍事の発展は、高度な都市国家を形成したシュメール人は、今でも「謎」の中なのだろう。

だが、狩猟採集社会(縄文)から水稲農耕社会(弥生・紀元前4世紀頃)になると「食」が安定し、飢餓が薄れ、ヒトの能力が低下して行ったのだ。 

「飢餓との闘い」がヒト(人類)の宿命で、優れた能力を持ったリーダーの下、一つの言語と伝統文化で都市国家を形成したシュメール人も、複数の王が生まれることで争いが絶えず、そのことで軍事が発達したのだろうが、歴史の中に埋もれてしまったのだ。

 ところで、長野県に在る諏訪大社上社の神様は「守屋山(もりやさん)」と言う標高1651mの山-であることをご存知だろうか。 そして、シュメール文明が栄えたメソポタミアの地に、「モリヤ」の丘が在り、共に信仰の山なのだ。

その上、シュメール語は日本語と同じ様に、単語に「・・・を、・・・に、・・・が」を付ける文体系(膠着語)で、漢字と仮名が混じった構造だそうで、現在のイラク内にはシュメール語の形跡が無いらしい。 こじ付けかも知れないが、「すめら尊」の「すめら」は古代バビロニアの「sumer」と似ていてシュメールとも発言するそうだ。

更に、三種の神器が「草薙の剣」「八咫(やた)の鏡」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」なのだが、シュメールや古代バビロニアの神器である「武神のシンボルの剣」「日像鏡」「月像の首飾り」にそっくりで、シュメールの神話と古事記、日本書紀に共通性が在る。 

 

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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