「伝統」についてウイキペディアには、
古くからのしきたり・様式・傾向などの有形、無形の系統を受け伝えること、民族や社会・団体が長い歴史を通じて培い伝えて来た信仰、風習、制度、思想、芸術、学問或いはそれらの中心を成す精神的な在り方などを言う-と在る。
また、ブリタニカ国際大百科事典では、
一般に思想、芸術、社会的慣習、技術などの人類の文化の様式や態度の内、歴史を通じて後代に伝えられ受け継がれていくものを伝統と言う。 しかし、形式のみが伝えられる場合は伝承と呼び、様式化された伝統として「創られた伝統」「死んだ伝統」として「真の伝統」と区別される-とも在る。
例えば「初詣」。 日本古来の伝統行事かと思うと、社寺に「元日詣」をする習慣化は明治中期になって、鉄道会社が乗客を獲得するためのキャンペーンが発端-らしい。
俳句で「初詣」が季語として歳時記に採用されたのが明治末期-と言うことから裏付けられる。
僕が好きな「ソバ」も日本の伝統的食物の一つで、原産地は現在の中国雲南省なのだそうだが、日本で食された時期としては、高知県の9千年前の遺跡からソバの花粉が見つかり、さいたま市岩槻区の3千年前の遺跡からは蕎麦の種が見つかっているところから、それ以前から食されていたのだろう・・・
少なくともソバの食べ方は、「そば米」や「蕎麦搔き」だったのだが、現在の麺状にした「蕎麦切り」は江戸の中期以降で、ツルツルっと飲み込めて革命的なものだった。
だから、江戸の街をこしらえる職人にとって手軽な間食になり、江戸の末期には夜食として引き売り(行灯蕎麦)が流行ったのだ。
太平洋戦争により蕎麦文化が風前の灯火となったが、中興の祖と言われる加須市生まれの片倉康雄(友喬子)氏とその弟子・高橋邦弘氏は蕎麦の歴史に欠かせない人材だ。
片倉氏には会っていないが、高橋氏には何度も会っていて、誰にも丁寧に対応してくれて体付きは将に「達磨」で、水を求めて北杜市長坂に「翁」を開業、その後広島に移って「達磨雪花山房」を開業。
片倉康雄氏の蕎麦打ちは多くの弟子たちに継がれている。
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