今日の昼も「山富貴」だった。
午後のスケジュールが在ったので、11:30a.m.頃に店内に入るとホールには先客は誰もおらず、新聞が読み終わる頃盆が来た。
「今日は、ダイコン蕎麦です・・・こちらは山で穫れたキノコの天麩羅です。 この塩を使って下さい」
「挽きぐるみ」蕎麦なのだが、細く切った辛味ダイコンが混在する切り蕎麦の上に辛味大根が擦り下ろされている蕎麦だったので、早速猪口に入れ頂いた。
汁も何時もの様だったので、付けているうちに汁が無くなって来たが、やがて店員の村田さんが蕎麦湯を持って来た。
「ところで、辛味大根は何処から取り寄せたんですか?」
「ウチの畑で獲れたんです」
と言うので、支払いをするときに改めて尋ねてみた。
すると、
「ウチのお父さんがつくっているんですけど、(作付の)年によって辛味が違うと言っています」
とのこと。
親田大根、ねずみ大根、戸隠地大根、灰原辛味大根、中之条大根、雪美人・・・各地に在る辛味大根だが、アンチエイジング効果が在り胃腸の調整効果がある辛味大根。
『「美味しかった」とお父さんに言って下さい』
話は変わるが、
「天地天明」なんて言ってしまうかも知れない言葉の問題。 「神に誓って・・・」なので、天や地の神々、即ち「天地神明」(神の明も神の意)が正しいのだが、なぜ「天地」の後「てんめい」と言ってしまうのだろうか。
天から与えられた命令-やり遂げなければならない宿命-の「天命」と語呂が同じなので、「てんち」に合わせるように「てんめい」と言ってしまうのかな?
それとも、歴史が好きな人は「天明の飢饉」の「天明」と勘違いするのかな・・・
「天明」などと言う言葉は無いのだが・・・
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