古墳時代の最盛期に築造された大阪・堺市の仁徳天皇陵や藤井寺市から羽曳野市に在る古墳群(古市古墳群)が、間も無く世界遺産(登録)となる。
訪問したことは無いが、堺は知人の寺内氏の故郷で在り、藤井寺は先輩の岡田氏が住んでいる地であり、僕が住む地にも古墳群があり行田市には「さきたま古墳群」が在るので、代表格の百舌鳥古市古墳群の「世界遺産」登録は嬉しい。
増してや、世界の多くの墳墓が棺や室に盛り土、積み石しただけに対し、古墳の墳丘は葬送儀礼の舞台であり幾何学的な高度な技術で構築された墓で前方後円墳は日本独特なのだ。
ところで、「百舌鳥」は「もず」と読むのだが、堺市周辺の古墳をなぜ「百舌鳥」古墳群と言うのだろう?
日本書紀に、「仁徳天皇が、百舌鳥野(現在の堺市周辺で)に幸して遊猟したまふ」との記載が在り、仁徳天皇陵の造営時、野原から鹿が飛び出して来て、作業していた人の前で倒れて死ぬと、死んだ鹿の耳からモズが飛び去った-ことから、「百舌鳥耳ヶ原」と呼ばれるようになったとのこと。
また、「モズは色々な鳥の鳴き声を真似る」(らしい)ので、漢字では「百舌鳥」と表記するのだが、「鵙」「万代」「毛受」とも書く。
ついでだが、隣町の庁舎が在る地名は「大豆戸」と表記するのだが、読み方は「まめど」なのだ。
ならば、「大」を外して「豆戸」で良いのではないか-と思うのだが・・・
実は、漢字を後から当てたために-こうなったのだ。
この周辺で栽培している「大豆」は、日常的に「マメ」と表現していて、「アズキ(小豆)」では無い「まめ」なので、漢字表記では「大豆」となったので、元々は大豆戸地域は低地で雨水が浸透し難い土壌だったので「マミ土」と言われた土地なのだ。
その「まみど」が「まめど」となり、漢字表示が「大豆戸」となったのだ。
0コメント