『〇〇さん! この前いらっしゃった入間(市)の方たちが先程迄居て、「今日は、〇〇さんは来ていないの?」って言ってたわよ・・・』
26日から休業していた珈琲店「ほっと」が今日から営業したのだが、昨日来た息子を高麗川駅まで送った帰りに寄ったときの店主の第一声だが、「去来庵」で何度か遇った女性グループが先客だったのだろう。 甘夏か八朔だろうか、店のカウンターに置いて在った。
朝食を食べたので、「ほっと」ではトーストセットにしたが、今日のこの後のスケジュールは「無し」。 「自分で、積極的に出掛けて行かなくちゃダメだよ」とは思うが、会社員時代の引き出ししか持ち合わせていない僕には、安直なTV画面との「にらめっこ」を選んでしまうのだ。
で、メール作成中に車で家を出た。
ガソリンが半分程度になっていたので、途中の「おしゃもじ山」のサツキの満開を見ながらスタンドに行った。 雨降りの夕方故か、給油中の車は1台も無かった。
ついでに、越生町のアジサイ街道沿いに在る、花木好きの方が運営している花植木ガーデン「花あそび」に行ってみた。 庵の灯りは点いていて、庭先に車が停めてあったが、今日から2か月間の開園との表示があり、中に入って見たが応対する人が見当たらなかったので戻った。
帰宅後、又NHK総合TVをONすると、解説者たちが「令和」(時代)への希望、期待或いは予測を語っていたが、重要なことは「個々人それぞれが何をするのか」だ。
「家族の在り方」1つを見ても、「地域で××しよう」と取り組もうとしても意識の多様性を認める(コミュニティが薄れた)現在、その意識の改革から始める必要が在る。
だから、個々人がバラバラに取り組む-その結果同調者の顔が見え、その輪が力を得て成果が出るのを待つのだ。 家族とか地域で総意を得た(纏めた)時代から同調者で成果を得る方法に時代が変わったのだ。 夫婦であれ家族であれ、増してや同一地域で生活するからと言って、同じ美意識を持っているのでは無いのだ。 説き伏せたか-と誤解するのでは無く、物理的感覚と精神的感覚を切り離すのだ。 ダイバーシティとは違いを積極的に活かすこと-なのだが、(個々人が)バラバラになることーでは無く、個々人の意識を積極的に発揮させ、結果として「夫婦が」「家族が」「地域が」成果を得る-在り方だ。
それが、少子高齢化の必然なのだ。 少子高齢化は地球上に求められた宿題であり、日本が最初にチャレンジ出来るのだ。
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