今日の日経「春秋」に、『今や懐かしいが「昭和元禄」なる言葉があった。 言い出したのは後に首相となった福田赳夫さんらしい。 前の東京五輪のころ。 高度成長の結果、物質至上主義が国を覆い、江戸期の元禄年間の世相に似ることを指摘した。 平和を享受し社会も成熟しつつあったのだろう・・・この古いフレーズを・・・磯田道史さんが、雑誌「三田評論」に「平成は宝永にあたる」と寄せた・・・』と在った。
要するに、和暦は「昭和」の次が「平成」だが、遡って「元禄」の後は「宝永」だったのだが、その「宝永」年間は、元年に羽後・陸奥で地震、2年には霧島連山の高千穂の峰が噴火、桜島が噴火、3年目には浅間山が噴火、4年は畿内・東海道・南海道中心の大地震、富士山宝永の大噴火、5年は京都の大火災、6年は阿蘇山の噴火、7年は浅間山の噴火、8年でも浅間山が噴火-と災害、特に自然災害が続いたのだが、「平成」も自然災害が続いた年代だった。
一方、元禄から宝永の時代、幕府は金の量を大胆に減らした小判を鋳造し、莫大な通貨発行益を得た。 この江戸のリフレ策はインフレを呼び、庶民を苦しめたと伝わる-とも在る。平成時代の大量に発行した札(日銀券)は「令和」にどう影響するのだろう。
ところで、一昨日のNHK総合番組「クローズアップ現代」に出演した看護師僧侶・玉置妙憂さんだが、大学を卒業後法律事務所勤務をしていたが、嘆息とアトピーで生まれた長男のために看護師となるも間も無く長男は改善、しかしご主人に大腸癌が発見される。 一旦は治ったが、5年後に再発。
ご主人の強い「もう、積極的な治療はしたく無い」との意思を尊重し、自然死を看取ったのだ。
その玉置さんだが、ご主人の闘病生活を添うために看護職を辞し、ご主人の自然死を迎えるにあたり出家、僧侶となったのだが、玉置さんの体験から出た「自然死の姿(ケア)」。
「人には個人差が在りますが」と前置きして、
1. 「死」に向かうとき、下界に興味が無くなり、内に興味が向く
2. 食欲が落ちて、食べなくなる、やせる
3. 眠くなり、夢を見ながら「うつらうつら」する
病院に入院していると、食欲が落ちれば「何とか食べて貰おう」と形態を変えて食べさせるし、果てはチューブやカテーテルを使い胃や腸に直接栄養を入れる。 「胃瘻(いろう)」だが、
「着地態勢に入った人が、もう一度元気になる、走れるようになる・・・」のでは無いのに・・・
昼も夜も関係無く眠っている・・・のは「夢心地」なのです。 静かに・・・安らかに・・・
まあ、兎に角、食う意欲が在ることは、明日へ向かう意思、意欲の証拠。
先輩! 食欲が在る限り、頑張りましょう!
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