小島真樹さんからの手紙

 「新しき村」の村外会員である小島真樹氏から、個人機関誌「草」が毎月届く。

今朝のポストに投函されていた「草」には、副題として、「時代に流されるだけなら、脳みそはいらない」と在り、文面を拾うと、

「・・・私は新しき村の熱心な会員・・・だが、実篤を含む近代日本の文学者や思想家の大部分が、自分の信念に反して、大東亜戦争に賛成してしまったのは一体なぜだろうと、ずっと考えて来た。

そしてその答えが、時代に押し流されてしまった-と言うものである」と結論付け、「便利さ」はコミュニテイを希薄にする-として、産業革命以後、エネルギーを使い技術を駆使して経済的繁栄を手に入れて来たが、それがもう天井に達していないか(?)。  原発事故の衝撃を、生き方を考え直す機会にすべきではないだろうか(?)」と、問い、「私は、福祉や医療の分野、それから戦争や犯罪を防止するための科学技術以外は、もう進歩させることを止めた方が良いと思う。

自分のペースを守って、悠然と生きたいものだ。  時代に流されるだけなら、脳みそはいらない」

との意見だ。

 さて、小島氏が言う『(当時の日本を代表する武者小路)実篤氏等は、「自分の信念に反して」大東亜戦争に賛成した』のだろうか? 「時代に押し流された」のだろうか?

イギリス等の列強から支援を受けていた薩長は、「開国」以前のアジア情勢を(イギリスから)受け(鎖国体制の)倒幕を計ったのだが、長州藩は、「(自分の目で)実態を把握すべき」として(当時イギリスの植民地だった)上海に高杉晋作等を使節として送り込んだ。

「上海の形勢を観るに、志那人はことごとく外国人の便益のため、英仏人街を歩けば清人皆避けて傍らに道を譲る。 実に上海の地は、志那に属すと言えども、英仏の属地と言うもまた可なり」

これは高杉晋作の日記の一文だが、実情を知った薩長は列強の植民地化を阻むべく天皇中心の国づくりをしたのであり、大東亜戦争は、

第1に「経済の安定」であり、次に「国防」であり、植民地化したアジア(民族)の開放が目的であった。 そのことは、それまでの覇権国だった英国の宰相チャーチルが次のように述懐したことで裏付けられる。

「イギリス軍が、(支配していた)アジア人の目の前で日本軍に惨敗したからである・・・イギリス軍は第2次世界大戦後も依然として強力だが、世界の人々は、英軍がアジア人に負けたのを見てしまった」

この考え方は当時の日本の総意であり、物理的に小国だったが日本は当初から(他国の植民地を)自国の植民地化等の考えは無かったのだ。

 また、「時代に流されること」とは「次代に判断を委ねること」であり、重要なテーマなのだ。


毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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