中野孝次氏の「清貧の思想」を読み始めた。
江戸初期の芸術家・本阿弥光悦などを代表する本阿弥(ほんなみ)家は、足利尊氏に始まる足利将軍家に仕える「日本刀の研磨」を生業にした一族だが、宗家9代目光徳の逸話が在った。
『光徳が在るとき(徳川)家康から秘蔵の「正宗の脇差」を見せられた。 足利尊氏直筆の添え状がついていて、家康の自慢の品だったのだが光徳は家康に対し、「吟味して見るに、これは焼き直しもので使い物にならない-と言い放った」と言う。 光徳は更に、「尊氏公の添え状が在ったとて、尊氏公が刀の目利きであったと言う評判も無く、何より尊氏公の頃は正宗は新身(新刀)でありました」 すると、機嫌を損ねた家康は光徳を出入り差し止めとし、光徳の息子光室(10代目)が召し出された。(本阿弥行状記より)
本阿弥家は尊氏の時代から刀剣の研磨を生業として来たが、秀吉が政略的に「正宗」を利用したことを知っていた光徳は、「目利き」として事実以外は言えなかったのだ。
このことを反省した家康は、10代目光室に品質を保証する折り紙を発行すよう命令した-と言う。
(「折り紙付き」の語源)
近年、お世辞どころかデマ、フェイクが罷り通る社会となってしまった。
「金(貨幣)のために」「地位を守るために」心を疲弊する。
悍(おぞ)ましい。
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