我が町の「そば祭り」

 1週間前から、僕が住む町のグランドの周りに「第5回そば祭り」の幟が立ち並び、町のあちこちに立て看板も在ったのだが、当日の今日グランドに行くと蕎麦打ちのテントは片隅で、メーン場所は軽トラ市とキッチンカーの出店だった。

昨年「合併60周年」記念行事として、「✖✖町げんき市」を開催し好評だったが、(町の)総合振興計画の「実施計画」を見ていない僕は、増してや現場のグランドにも町内の何処にも「げんき市」の表示が無かったのだ。

 一昨年まで、素人の趣味の会として自前で「そば祭り」を開催していたが、昨年は「げんき市」へ参加したため(開催)費用が削減出来たのだった。 それに、昨年の「げんき市」の集客力も「そば」が中心だったのだ。

 しかし何故、「げんき市」の看板もポスターも無かったのだろう?

「振興計画」の実施計画では今年以降3年間、「げんき市を開催し・・・PRを行います。」として予算化しているのだが・・・。

確かに、「そば祭り」のメーンの「○○二八蕎麦の会」の中心的存在だった彼はリーダーを止め、もう1人も体力的に限界に来ているのだが・・・

 「げんき市」の目的が、

「地域の触れ合いの場として、町の産物、加工品を提供する・・・」としているし、町の産業振興なら生業としているプロたちを参加させるべきだろうが、町の蕎麦屋は1軒も参加していないし「お呼び」も無かったのだ。

 1995年、日米間で普天間飛行場の返還が合意出来、普天間に代わる飛行場設置を(沖縄県内で)探す中、米軍施設が在る辺野古沖埋め立てての(飛行場)建設が決まりうめたての許可を仲井真知事が認めたのだが、知事選で「埋め立て」反対派が勝利した。

 その当時の日本政府も民主党政権で、首相だった鳩山由紀夫氏が「(沖縄)県外設置」を公言したが実現にほど遠く、結果として政府が(沖縄県)民意に翻弄した形となり、日米間にひびが入る状況と化した。

それ等から「ぶれない政府」「信頼の在る内閣」を目指し、沖縄の振興予算として毎年破額の3,000億円以上も投入しているのだ。

金は欲しいが、代わりの飛行場は造らせない- では無く、飛行場を造らせないから金も要らない-

と断言しなさいよ。

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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