旧暦の(元禄15年)12月14日(新暦1月30日)は、大石内蔵助以下47人の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日。 赤穂藩主だった浅野内匠頭の月命日なのだ。
僕が子供の頃の娯楽は映画やTVだったが、年末は大抵赤穂義士を題材にしたものだった。
赤穂浪士らが吉良邸に討ち入ったのが午前4時ごろ、未だ夜が明ける前だそうで、映画などでは雪の降る中を山鹿流陣太鼓を打ち鳴らす中、吉良邸の門扉を破り突入した-のだが、実際は「討ち入りの時」は雪は降っておらず、吉良邸を出るときに降って来たらしい。
又、吉良邸に討ち入る前に隣接する屋敷に向けて、
「我ら浅野の浪士ども、吉良父子の御首を頂きに参上いたした。 騒動に及びます故、あらかじめご案内申し上げ、武士は相見互いの身、何卒お構いの無きようお願い申し仕る」と、事前に伝えると、
ある屋敷の主は、「心得た」と、塀際に高張提灯を高々と上げ、討ち入りの一部始終を聞いていた-らしい。
雪の中で起きた事件-と言えば、赤穂浪士の討ち入り(新暦1703年1月30日)と桜田門外の変(新暦1860年3月24日)に二二六事件(1936年2月26日)だが、気象庁に因れば、二二六事件が起きた昭和11年2月26日の雪が降り始めた時間は8時8分からだそうで、反乱軍が兵営を出発したのが4:00㏂頃、首相官邸を襲撃したのは7:00㏂頃なので、正しくは「雪が降る前」の事件-なのだが、起こした兵たちは若く、純(順)な者たちだったのだろう。
日本人は「雪=純白=純真」のイメージが強く、「雪の背景」も好きなのだろう-が、元来「白色」は無いからこそ求めるのだろう。 可視光線の100%乱射によって出来るのであって、白色の物体は無いのだが・・・。
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