『今日は菅谷の国立女性教育会館で、群馬女子大准教授による講演会があり、行って来ました。 演題は「雪中越山」ですが・・・』
散歩の途中出逢った男性の立ち話なのだが、「セッチュウエツザン?」
「セッチュウエツザン」のエツザンは、新潟から(三国)峠を越えて群馬に出ること-で、上杉謙信が北条氏を迎え撃つために生涯13回も雪の中を峠越えし、沼田上杉領に入った-ことを雪中越山と言うのだそうだ。
越中長岡から標高2000m以上もある峠を越して沼田、前橋に出るには車でも5時間は掛かるのだ。 兵を率いて超えるとなると丸二日は掛かるだろうし、出城を守る(国を守る)ことは並み大抵では無いのだ。
「安倍内閣は・・・」と批判すること-政治とは何かが理解出来ていなくとも他人の意見に同調することで(自らを)ゴマかせることはいとも簡単だが、他人を納得させるにはセッチュウであろうとも2,000m以上も在る峠を越えて出陣しなくてはならないのだ。
「旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る」
松尾芭蕉が江戸・深川を出て東北・北陸を巡り、京から故郷の大垣に着く2,400㎞の歩き旅、「奥の細道」の終わりの句だが、京、奈良を巡る中で不仲になった(二人の)弟子の間を取り持とうと一方の弟子の家に泊まり説得するが上手くいかず、病気にもなり詠んだ句なのだそうだ。
この句を詠んで4日後、50才で芭蕉は亡くなった。
弟子のいざこざに気を病んで、わざわざ弟子宅に伺う。 しかも病を押して・・・
「奥の細道」の旅の出発日は1689年5月16日、終点大垣に着いたのが10月4日。
所要日数は142日(新暦)で総移動距離が2,400㎞。
単純計算でも1日50キロ程度歩いた計算になるが、旅に出たときの年齢は45才。
僕も35才頃、銀座から自宅まで凡そ60キロを歩いたが、1日でへこたれた。
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