子供の頃の(村の)神社の秋祭りは参道に露店が並び、そこでの買い食いが楽しかった思い出が在るが、今年初めて地区の「神社評議員」となり、秋の例大祭に参加したのだ。
神社の脇道は僕の散歩コースなので神社は身近な存在なのだが、今日の例大祭(秋祭り)は勿論露店などは無く、見物客も近隣の人が総勢で20名ぐらいが居る程度だった。
それでも、例大祭(秋祭り)は地域の五穀豊穣、疫病退散を村社に願う儀式なのだ。
今日の例大祭のメーン「獅子舞い」でも、長年獅子舞をリードして来た数人の年寄り以外は、経験の少ない役員と練習中の子供たちの外、僕ら地区の「評議員」だけで、地域の人々は殆ど参加していないのだ。
地域の、地域に住む人々のために五穀豊穣、疫病除け祈願をする-と言うのに・・・
長年、獅子舞いに係わって来た友人は、「地域の人が参加して呉れないので・・・」と嘆いていたが、毎年繰り返される「(伝承の)獅子舞い」だけでは、ひとびとの関心も薄くなるだろうし、リーダーたちの「チエの無さ」の結果だろう。
子供の頃の露店は、人が多く集まる神社(場所)だから露店が出、露店が出たから人が集まったのだ。
「チエ」は幾らでも在る。
ヤル気が在るか否かだ。
今日参加して目に付いたことだが、神社の例大祭は、リーダー的一部の者の自己満足の場-と言うことだ。 だから、参加する人たちには楽しくないのだ。
時代と共に、リーダーを変えなくてはダメだ。
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