今日は火曜日なので、昼飯を食べに智光山公園の駐車場へ行くと、100台位の駐車スペースが在ると言うのに殆ど満席状態だった。
駐車場内は一方通行なので一旦出て、偶々出庫した車が在ったのを見届けたので、その位置に止めた。
すると、見慣れた寺内氏の車が入って来て、同様に空きスペースを探して中ほどに進んで行くのを見ていると、手前の方に駐車していた車が発進したので、寺内氏に知らせようかと思ったが、走ることが出来ないこの身を、最近はガッカリするばかりなのだ。
で、揃って「去来庵」に入り、イシモチの炊き込みご飯を主飯に、手作りの主菜副菜を頂き、コーヒータイムではこれ又、手作りの「カルカン」を頂いた。
カルカンは鹿児島県民のソールフードだそうだが、「軽羹」と漢字で表すように、手作りして蒸し上げると、小豆の餡子の「饅頭」が軽くなったので「カルカン」としたらしい。
が、入れ歯が破損し新たな義歯(有床義歯)で上手く食べられなかった僕を慰めるべく、色々アドバイスを頂き、ソレが今日の場を盛り上げる役となった。
具体的な話では、
最近の僕が、「昼飯を一人で外食に出掛けること」に、
「偶には奥さんを連れ出して一緒に食事をした方が良いよ」
「(例え女房が出控えても)夫婦揃って食事をするコトがイイと思う」・・・
確かに、老後の生活、否、老々介護の姿を想定するとき、夫婦間の良い環境整備が必須だろう・・・と想像するのが一般的だろう。
だが、へそ曲がりの僕は、『ヒトは一人ひとり別々の個体として生まれ、子孫を残す必要から別性同士が一緒に生活し子を産み、子育てが終えると個体ごとに死に向かうが、協働して得た住居を夫婦の、子孫の「安心の場」としてどの様に保守するかは個々違うだろう』
と思っている。
なので子育てを終えると、夫婦は共同の「安心の場」を守る役では在るが、個々の自由意思は制限すべきでは無いだろうと考えているのだ。
帰宅後散歩に出ると、昨日出逢ったボクサー犬と今日も遇ったが、今日は飼い主の(日本語で発する言葉を理解したからか判らぬが)コントロール良く、僕に近寄って来なかった。
犬と目を合わせない、無視するコトがポイントなのだ。
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