小祥忌(しょうじょうき)

 昨年2月亡くなった義理の母親の小祥忌(一周忌法要)が今日、義母の故郷・群馬県上野村で行われ参列した。

 施主は5人姉弟の末っ子の義弟で、彼が中学2年の時に我が家に来て以来、我が家の長男的存在で育ち、家庭を持ってからは母親を扶養していたが、姉たちの意向に反して施設に入所させ、100才を超えて施設で亡くなった義母で、我が家に居た義妹が家庭を持ち我が家に居た義母と暮らすようになっても、暇を見つけては旅行に食事に連れ回したが、施設の世話になって以来顔を見なくなって10年近く経ち葬儀となり、今日が小祥忌。

 普段着で参列しようかと思ったが、同行した義妹たちの意向で礼服着用。

良く理解出来ないのだが、1周忌は「追善供養」。 

読経後の和尚の法話でも、「この後の『お斉』では、故人の在りし日を語らい合い、故人を偲びましょう」と言っていたし、故人が仏になることを喜び合う日なのだろう・・・

嘆き悲しむ葬儀とは全く異なるのだ。

 更に和尚の法話で、

「先月のニュースで、『急な冬型の気圧配置に因る大雪で、車が数時間も立ち往生』したと言っていたが、往生とは極楽浄土に行って仏になること、死ぬこと、諦めて行動を止めること、どうしようも無く困り果てることなんですが、実際は『ウッカリ巻き込まれて困っている状態』なので、本来の『立ち往生』とは違っています。 立ち往生の典型は武蔵坊弁慶で、弓矢を身体中に受け立ったままの姿勢で死んだ姿です」

と言っていた。

 言葉は変化するモノだ。 そのコトは和尚も承知した上での法話だったのだろうが、見た目は同じような顔かたちでも、心の奥底は予測に反したりするものだ。

ウマが合うヒトは語らずもピントが合う。

 帰路、嵐山町のカフェ&ギャラリー・シスルに寄り珈琲を戴いた。

追加注文をしていないのに珈琲が出され、キンカンの甘露煮も戴いた。

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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