結婚式並びに披露宴への招待状が届いた

 義弟の息子から、結婚式と披露宴への招待と主賓挨拶の依頼文が届いた。

義弟は中学2年生から我が家へ転居し、社会人になるまで我が家で生活していたので、子供達は兄弟同様に育った。

だから、義弟夫婦とは甥姪が大きくなるまで親しく交流して来たのだが、義弟の母親の問題で義弟と姉妹間に意見の相違が起き疎遠関係になっていたところに、従甥からの招待状が来たのだ。

 従甥とは10年以上も疎遠であり、義弟夫婦とも日常の付き合いも無くなっている中での案内なので、「僕等年寄りでは無く、若い人たちに囲まれて船出して下さい」と書き添え、欠席とした。

結果的に、義弟の兄弟姉妹からこの件についての電話が在り、皆「欠席」だと言う。

 従甥からの手紙以前に、義弟夫婦から口頭での説明・挨拶が当然だろう-と言う意見が在るが、数年前に従甥の姉(従姪)の結婚式に参列した時には義弟夫婦とのわだかまりに関係無く参列したのだが、相手(男性)方の参列者は当人の親と友人だけだった。

 従甥にとって、晴れの門出を祝う人達は僕ら以外にいない訳は無いだろうし、勿論祝い金を狙った訳でも無いだろう。

これから共に励まし合って行く彼、彼女らが重要なのだから、そう言った人達に祝福される結婚であるべきだろう。

 今日、パート先での配達車両のラジオ番組(NHK:すっぴん!)を聞いていると、視聴者から「盲目って、解ります?」と言う手紙が届いたとのこと。

盲目とは、「目が見えないこと」「他のものが目に入らず、理性的な判断が出来ないこと。 又はその様」と在る。

だが、投書者は「心の目が見えなくなること」と言い切った。

 そうなのだ。 視力を完全に失なったとしても、手や体が触れることで(触感で)モノは見えるだろうし、視覚、触覚以外の味覚、臭覚、聴覚で見出すことが出来るだろうが、そう言った感覚(心の目)が鈍ると想像を失うことになり、完全に「闇の世界」に入ってしまうのだ。

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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