小池百合子さんの責任?

 「政治を変えるには、大きな中古車を修理するのでは無く、小さくても新車の方が良い」と、明言し、日本新党を立ち上げた細川護熙に誘われ、野田佳彦、前原誠司等と共に入党し参院選で当選。

翌年の衆院総選挙に日本新党で鞍替え立候補、当選するも、非自民非共産党で連立した細川内閣は、1年足らずで崩壊。 その後に出来た小沢一郎率いる新進党から自由党と変遷し、自民党、自由党の連立で自民入り。  その流れのなかで「政治」を学んだ小池百合子氏。

「政治は勢い」は、政治の僅かな一面である-ことを何処まで認識していたかは判らぬが、実行し圧倒的な得票で当選した都知事選。 その勢いは「自らに備わっていた力だ」と想像し、衆院選に新党「希望の党」を創設して臨んだ。  選挙結果、出張先のフランスで言った言葉。「自分に慢心が在った」「非常に厳しい結果だ」

 一般的な「政治」のイメージは、「一定のルールの基に存在する支配=服従の関係-と考えがちだが、経済と共に社会を構成するサブシステム」なのだ。  経済は市場の原理が適合されるが、政治は市場が適合しずらいのだ。

「勢い」では無く、多様な価値観の中から多数を見出し実現することが「政治」なのだ。

 ところで、知事としての小池氏だが、豊洲移転と築地跡地問題は、余計な税金を使い「労多くして益少なし」だった。  議会も、多数派の「都民ファーストの会」は政党として不安定であり、「希望の党」設立のお陰で、自民、公明、共産党は地固めされたが、所謂野党第1党だった民主党の在り方を暴露させただけに終わった-のだろうか?

その後の野党の再編劇は、当に「希望の党」の始末であり、細川内閣が放り出した「政治」の延長を小池氏は踏襲したのだ-と言ったら言い過ぎだろうか?

 事を成そうとすれば、意見は多出する。 リーダーは自らの思いを優先するのでは無く、多出した意見の中から「先ずは多数を選んで」自らが達成したい思いは「人心を掴み、確実になってから」で遅くないのだ。

歴史的に見れば、20年,30年は「あっと言う間」なのだ。

30年なんて「あっと言う間」。 継続が重要なのだ。

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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