昨年末、お米などを持って倅宅に行ったときは、「正月、行くから!」と夫婦で約束し、孫たちも来たかったのだが、年が明けて来なかった。 二人の孫娘は9才と3才で、誕生日が1月生まれでもあり、我が家で誕生会をする予定でも在ったのだが・・・。
昨年の暮れ、倅の嫁さんの母親からの呼び出しがあり、会うと、
『お義父さんは、ご存知ないでしょうけれど、(倅に)何度か叩かれたことが在って、娘が「もう、顔を合わせたくない」と言っているんです』
「穏やかな人生なんて、在りはしない」「夫婦の問題は、出来る限り夫婦で解決すべき」
理屈では解っているようで、実際身に降り懸かるとジタバタし逃れようとする。
立ち向かってみると、「大層なことでは無かった」と気付くし、体験が有効だったことにも気づくだろう。
その大事な体験をさせないようにする嫁さんの母親。 会ったときに、「例え親であろうと、他人が余計なお世話をすべきでは無い」と言ったのだが、僕に「会いたい」と言った母親の目的は違っていた。人の愚かさ、人の社会の在り方-面倒なことだが、時間を掛けて努力するしか無いのだろう。
僕は、児童文学者吉野源三郎氏の著書「君たちはどう生きるか」の漫画本を買った。
孫に送るためだ。 届いても、孫の手に渡るかどうか判らぬが、いつの日か会えた時に聞いてみよう。
人生は道理・理屈では無いんだ。
僕が見た絵をあなたが見たとき、同じ絵にも拘らず「感じるもの」「感じること」は異なることの方が多いし、同じものを食べても味が異なって感じるだろう。
結局、自分が、「どう感じたか」「どう思ったか」が大事なのだ。 それが自分づくりなのだ。
それが人生なのだ。
あの田中角栄元総理でも、「ああ、くたびれた。 俺には(総理大臣としての)性に合わねえな・・・」
と記者に言ったそうだ。 どの様に想像しても、官僚もろとも知恵を出し合っても、時の流れは人の意識は微塵も無く変えさせられる。 (浅知恵と果す)
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