どう生きるかと言うこと

 郵便局から「山富貴」へ行くと、女将が「本年もよろしく・・・」との挨拶と一緒に更科(蕎麦)が運ばれて来た。  膳には、初春の「蕗のとう」が載っていた。  

 帰宅後NHKBSTV番組「古代人の心と文明に迫る」を見た。

人は生きるために「自然に対してさえも」対峙出来るかの如く想い違いするが、

「すべての答えは出ている。 どういう生きるかと言うことを除いて・・・」とジャン・ポール・サルトルに言わせたように、無から創造出来るかのように人は誤解から始まり、そこに本質を見つけることが出来ると、「後は、どう生きるか-だ」と気付くのだ。

現代社会は文字の無かった古代の解明やら、体内、宇宙の解明までが行われている「解明の時代」なのだ。

 腎臓が、体中に情報を発信していると言うのだ。 いやあ、驚いた! 今まで、全知全能と言われる通り、「脳が全身さえもコントロールしている」と思っていたが、体内の指令は腎臓が行っている-と言うことが解明されたのだ。  故に、脳卒中や心筋梗塞の改善は下より体内の病気解明、解決が可能な時代になると言う。 

そうなのだ。 「解明だ」と言うが、結局のところ「今頃、ヒトに知れた」だけなのだ。

それを自然と言うか在りのままなのに、そこに人が係わる-のだから、意気込むことでは無いんだ。

「どう生きるか」なのだ。 バカな人間は、そのために争いをするし、破滅的なことまでしてしまう。

 良い知恵を持ち、日頃の一喜一憂に動ぜず、夢を実現する強い意思を持つリーダーを待つ。


 

 

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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