2017年も明日で終わりだ。 「待ってくれ! やり忘れたことが在るんだ!」
忙しくなくても、うっかりすることが在る。 否、忙しくしているときはインスピレーションの働きも良く、「うっかり」なんてことは無かった。
僕の場合は、明日の親父の命日も含め年明けも準備が終了してはいるが、肝心の孫の来訪が不確定なのだ。 理由は、息子夫婦の問題なのだが、「夫婦で解決すべき!」と思うのに他人(親)が入って来るのだ。
『お父さんは知らないと思いますけれど・・・××子は何度も殴られたんですよ。 当人同士で話し合うのが良いことですけれど・・・○○さんの性格は変わらないと思いますので・・・、××子は怖がって「顔を合わせたくない」と言っているんです。 解っていただけますか?・・・「お義父さんなら解っていただける」って××子は言っています』
「はい、解ります。 ××子ちゃんは頑張っていて呉れたんですものね。 僕はづっと、××子ちゃんを応援していたんですけど・・・」
「会って欲しい」との意向で親として会ったが、「親の出る幕では無い」と僕は思う。
「親だから・・・」如何にも「その積り」なのだろうが、親なんて結局は自分の持ち物のように思ってしまい、その後の責任まで考慮しないものなのだ。 悪く言えば、老後のカバーとして重宝だからなのだ。
この地球上では、人間社会でも循環社会なのだ。 子孫を育て、次の世代に譲る(送る)のだ。
「良いとか悪いとか、そんなことは他人を巻き込まずに勝手に楽しみなされ!」
朝焼け小焼けだ 大漁だ。
大羽いわしの大漁だ。
浜は祭りの様だけど 海の中では何万の 鰯の弔いするだろう。
金子みすゞの詩「大漁」だが、72億人の人間社会の片隅で、「好きの嫌いの」で横に外れたけりゃ外れれば良い。 大きな魚の餌になるのだよ。
所詮、中島 潔の襖絵だ。
通常、結婚も子育ても初めてなのだ-家庭を持つこと維持することに決まりは無いのだ。
やり遂げること-に意義が在るのだ。 「失敗した」なんて無いんだよ。 自意識過剰になるんじゃないよ。 あなたで無くても誰かがやるよ。
井上尚弥は強い! 上手い! 段違いのテクニックで15戦15勝13KO。
ボクシング界のヒーローだ。
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