ブチャ 十字架の街

 5日振りの「山富貴」になったが、ホールのいつもの席に着くとテーブルに新聞が、続いてウエルカムセットが置かれ、挨拶しながら座って読売朝刊を見始めた。

「ブチャ、十字架の街」と言う1面の見出しに目を止めた。

国民の8割が東方正教会の信者の静かな街ブチャに2月25日、ロシア軍がキエフ包囲を目的に突然侵攻、住民を追い出し暴行殺戮し死者を埋めたのだ。

 ロシア軍が去った後、戻った住民は土を掘り返し弔った。

真新しい十字架が並ぶ墓地で、マリーナ・コストウシェビチさんが立ち尽くしていた。

45歳で亡くなった自営業の夫の墓に向かい、泣いていた・・・

掘り起こした夫の顔には激しい暴行の跡が在った。

何故夫が、こんな残虐な殺され方をしなければならなかったのか・・・

ブチャでは400人超の市民が殺害された-

と読み終えると、盆が来た。

「今日は『田舎蕎麦』と、『稚鮎の南蛮漬け』です」

 ・・・

買い物を終え、息子からプレゼンされた帽子を被り散歩に行くと、北の空は晴れていて日光白根山から男体山迄見えた。

 帰宅するとTBS報道特集で、明日の「沖縄返還50年」の特集をしていた。

1971年佐藤栄作首相が沖縄返還について衆院本会議の所信表明で、「これまでの歴史に無い、最も好ましい解決を見た」と言った後、国会内で爆竹音が響いた「国会爆竹事件」の東京地裁での初公判で、裁判長が被告3人に意見を求めると、3人は沖縄の言葉ウチナーグチで応えた。

 裁判長はウチナーグチが理解出来ず、「日本語で答えなさい!」

ウチナーグチは日本語ではないのか、返還直後からすれば外国人同様、沖縄語(ウチナーグチ)の通訳者を介すれば良いだけだろうが、裁判官の対応のマズさが残った。


毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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