橋田寿賀子さんが、文藝春秋誌に掲載した「私は安楽死で逝きたい」と言い、「権利が在っても良いのでは(?)」とTV番組でも言っていた。
「人様に迷惑を掛ける前に、死にたい・・・」 そうだろう。 誰でも、そう考える瞬間は在るだろう。
歳が、言わせるのかも知れない。 環境が、そう言わせるのかも知れない。
安楽死を合法化しているスイスだが、「治療困難な病気の末期状態」か「病気や障害により、普通に生活するのに著しい不具合」が在るとか「病気などに因って、常日頃から耐え難い苦痛を味わっている」ことの条件が必要なのだ。
勿論、日本は「自殺ほう助罪」「殺人罪」が適用されることになるし、自殺となれば他人に迷惑を掛けるばかりか、民法上の損害賠償請求を受ける。
「死ぬとき(ぐらい)は、自分で決め(判断し)たい」などと、甘えるな!
「自分(ひとり)で、やっていける(から)」などと、ほざくな!
人がこの世に生まれて来た-のは、否、この地球上に人類が生まれ、何れの時か死を迎える時までの間、人類として責任を持って地上の安寧を維持しなければならないのだ。
元々、「一人の人間の死」は当たり前のことなのだが、それに関わる人や物が在り、本人の意思に係わらず死後も影響するのだ。
死は、個人に与えられた苦痛の末なのだ。
人生には、自分でどうしようも無いときが在る。 それでも、生きて頑張るのだ!
「頑張らなくても良いんだよ」と言う言葉が在るが、誤解しちゃあいけないよ。 痛みに耐えるのでは無く、「痛い!」と言って良いんだよ-と言うことなんだ。
甘い人生なんて、鰯の群れから落ちるようなもの-だよ。 独り善がりでなけりゃ良いがなあ・・・
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