孫のお年玉に-とオルゴールを注文した。 三協オルフェウス社製で、曲は孫の好きなデズニーの曲の他に宇多田ヒカルの「First love」を選んだ。
今朝の朝日新聞記事「折々のことば」に、宇多田ヒカルと糸井重里が昨年対談した折の曲「Traveling」の歌詞について、宇多田ヒカルには「虚無的とか刹那とか白けている感じも在る・・・もう一度聞くと、どうなるんだろうと思わせる数少ないアーテイストの一人」とする糸井氏に答えて、
「歌詞で、それ使わないでしょ、って言う-ユーモアを感じたんじゃないですかねえ。 ユーモアって、どうにもならない状況対して、唯一出来ること。 何にも変えられないけど、ユーモアで自分のものにしちゃおう・・・とか、家族の在り方も周りと違う-どの面に於いてもアウトサイダーだと思いました。」と答えた宇多田ヒカル。
又、母親の藤圭子に対して宇多田は、
「ステージに上がると急に戦闘系の漫画のキャラクターみたいに、身体が大きくなったり、エネルギーのオーラみたいなものがワーッと出る、すごく個性的で純粋で美しい人」と表現し、
「お母さんが亡くなったのは、でかいだろうなあ」と言う糸井に対し、
「でかいです! あらゆる事象には母が見えてしまった次期が在った」と答えた。
「つらい、やだなって思っていた・・・誰しも原点が在って・・・私の原点は母だった」と言う。
2013年8月26日。 居住先のロンドンから駆け付けたヒカルは、ブログで母・藤圭子の死と彼女が抱えていた「心の病」について説明した。
藤圭子の感情の起伏が激しくなったのは、ヒカルが5歳の頃。 日常的に夫婦ゲンカが絶えず、夫婦はその後、幾度となく離婚再婚を繰り返した。 心のバランスを崩していく母を支えるために、父娘ともに努力して来たが、ニューヨーク空港で麻薬取締官に捕まった藤圭子は、「ニューヨークやカジノに行き、5年間で5億円使った」と発言した。
日常的に感情の高ぶる藤圭子に対して、夫の照實氏はうまく対応したがヒカルは、ある日遂に「出て行って!」とブチ切れてしまう。
「娘に嫌われてしまった」と思った藤圭子は、それから没交渉となってしまった-
ドスの効いたハスキーボイスで、可憐な風貌の藤圭子。 デビューは衝撃的だったが、新宿のビルから落ちて亡くなった。
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