ちょんまげを切って、未だ150年

 パート先で、「親と生んだ子への責任(関係)」が話題になった。

「お願いして生んで貰った訳じゃ無いけど、子供として、親の介護(或いは扶養)責任が在るので、やることはやるよ!」

「偉い!」  将に、親は子を自分の都合で生んだのだから、生んだ子の生育義務が在るのだけれど、子は親の扶養責任は無いのだ。 否、法的には扶養義務は在るのだが、「親に充分な生活能力が無く、援助を受ける必要が在る場合に限り義務が発生するのだが、子の私生活を犠牲にしない範囲」なのだ。

 ここに、現実の話が在る。

幼児教室を経営していた立石美津子さんのtweetだ。

『息子が2才の時、「知的障害のある自閉症」と診断されました。 私が落ち込んでいると、ママ友が「子供はお母さんを選んで生まれて来るんだよ。 キチンと育てられる人の処にやって来る天使なんだよ」と励ましてくれました。 けれど私は、「選ばれてしまい、運が悪い」と思っていたのでその言葉を素直に受け取れませんでした。』

聖心女子大学卒の、幸せな夫婦に生まれた現実。 「障害者差別解消法(2016年4月)」が出来ても、夫は(障碍者の子を持ったことを)認めない-即ち、夫は心の奥に、「普通の子でないと不幸」と言う価値判断-障害者差別意識が在るのではないか(?) 親が障害者差別をしているのではないか?-と。

健常者でも、一人では生きていけない-のがこの世(社会)なのだが・・・。

 150年前までの日本は、男社会で在り、20代30代の女性の死亡率は男の2倍以上で、出産に絡む死亡率が異常で、武家以外では母親(女性)は重要な労働力、金(貨幣)の対価だった。

故に、江戸時代の子育ては地域の男達が協力してやっていた。

地域の他人が入ることで、「人の情け」を知り、協調性忍耐力が育まれたのだ。

 国が一方向に向けるのでは無く、地域の在り様を地域で作るように、地域社会を育てる人材を地域で育む時代だろう。

「幼稚園落ちた。日本死ね!」などと吠えるのは、無責任な人間の仕業。

親としての責任を全うすればそれで良し、社会の(歪な)仕組みに反目しても益は無い。

自分たちで解決しようよ!  仲間は必ず見つかるよ!


毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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