今日の昼飯は、「挽きぐるみ蕎麦+聖護院かぶのあんかけ煮」で、いつもなら大鉢に盛って来るのだが、今日は懐かしい木製角皿2枚に盛られていた。 所謂、2枚で1人前なのだ。
日本料理店「山富貴」を倅に任せ、上田市の「おお西」で修業して(日本)蕎麦屋を始めた頃は、「おお西」の指導下で「1人前=角皿2枚」だったのだ。
それにしても、付け足しの「聖護院蕪のあんかけ」だが、店員さんも何も言わずに持って来たので食べて「聖護院」と解ったが、このところ京風和食風を頂いている。
「ほっと」での珈琲タイムを終え帰宅後、少々北風が吹いていたのでウインドブレーカーを着ての散歩に出た。
それでも、昨日も一昨日も見えなかった錫ヶ岳から日光白根山(連山)が今日はスッキリと見え、宮下橋では男体山や大真名子の雪渓が見えた。
さて今日は、「日本(経済)の失われた30年」について、ひと言-
東洋経済オンラインに拠れば、
「2012年からスタートしたアベノミクスは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和という名目で、実際は『財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)』と同じ様な政策を展開して来た。
政府に逆らえない中央銀行総裁が登場したのも、日本経済の失われた30年と無塩では無いだろう」とし、この間の日本の国際競争力の低下は目に余るものが在る-としていて、少子高齢化が顕著になった日本が、新たな価値観を受け入れない国民や企業が蔓延していることは、これからも浮き上がれないのでは・・・
だが、年金生活の僕にとっては、資産は目減りしたが日常生活費が安定していたので楽だったことは事実。 なので、これからの日本経済を考えれば、新たな価値観を持った若者がリードする社会と高齢者が自立する二重構造社会を暫くは継続する必要が在るだろう。
高齢者が自立するには、それまで得た技術と経験を活かして年金以外の収入源を確立すること、自らが出来ないことを行政に要求するのでは無く、自分達で解決すること、それは高齢者の共和国づくりなのだろう。
資本主義が貨幣経済に牛耳られるのでは無く、自らが持つ生活力(経験や技術)をあらゆる面で活かして自立するのだ。 現代版「姥捨て山」づくりだ。
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