くちぐるま

 「お元気でしたか⁈  暫くお見えにならないものですから、心配していたんですよ!」

「山富貴」へ行くと、フロントに居たナガタニさんの第一声だったが、

「木曜日は、保険会社のリモート会議が在り、金曜日は他店での昼飯だったので・・・」

「そうでしたか・・・オミクロン株に感染してしまったんじゃないかと心配したんですが、お忙しかったのですね! 安心しました・・・」

 定休日の水曜から3日間、他店で昼飯を食べたのだが、「山富貴」にも都合が在るのだろうが、そこは客商売だ。

「口車」であれ、互いに気分が良ければ良いのだ。

 それはそれとして、

「ところでナガタニさん! 『田代三喜(たしろ さんき)って、知っていますか?」

するとナガタニさん、「タシロサンキ?・・・はい⁉ 梅園(地区)に標識が立っていますね。 どんな人か知りませんが・・・」

なので、「田代三喜」についてのネット上の情報コピーを手渡すと、ナガタニさんは直ぐに増刷して店内の棚に置いてくれた。

 棚には以前から、「渋沢平九郎」に関する記事コピーが置いて在るが、この町にとって、「平九郎」本人の意思を別にすれば、その存在意味は「田代三喜」に比較すれば薄く、「田代三喜」を喧伝すべきだろう。

 「埼玉ゆかりの偉人・越生町」を検索すると、19名の記載が在ったが、「田代三喜」に関しては、「三喜」が足利成氏(古河公方)のお抱え医師となり足利に移住したため、古河市に比べ記録が少ないことがザンネン・・・

 古河市の一向寺本堂には、田代三喜の木造や医聖・三喜を祀った六角堂が在り、現在でも地元市民によって守られているのだ。

 このようなケースは、現在の群馬県南牧村羽沢城主だった市川五郎兵衛真親(さねちか)でもそうだが、現在の佐久市浅科地区に全財産を資し開田した五郎兵衛は、浅科では「真親神社」に祀られているのだが、南牧村では「偉人」では無いのだ。

ヒトの評価って、打算なのだろう・・・

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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