今日は・・・

 マイカーを起動させると「今日は、ライバルが手を結んだ日」だとのアナウンス。

帰宅後検索すると、

「慶応2年(1866年)1月21日、京都上京区の小松帯刀邸で、」薩摩藩と長州藩が政治的に、軍事的に同盟を結んだ日」と在る。

 薩摩藩は公武合体で幕府が開国する路線を支持する立場に対し、長州藩は急進的な反幕府論者がリードしていたが、薩摩藩の西郷隆盛、小松帯刀、長州藩の木戸孝允(桂小五郎)土佐藩の坂本龍馬らの仲介で、「倒幕」と言う一つの目的で1月21日、薩長同盟、薩長連合が結ばれ、「明治維新」に繋がったのだ。

 昼飯時の話に、

「老人ホームに入所している知人が居るのですが、ホ-ム内の人達の間では、会話をしないんです!」とのこと。

施設(管理者側)の決まりごとでは無く、狭い空間が生み出す「口は禍の元」「唇寒し」なのだろうが、あまりにも「人の終末」としては惨めな社会だ。

アレも出来なくなる、これも出来ない、思考力も弱くなる・・・ だが、会話だけは出来る!

それが、人間だ!

会話によって、繋がって繋いで・・・そこにコミュニティが形成され、文化が生まれ、時代をつくるのだ。

 話は変わるが、

パート先での終業後の話の中で、隣町(越生)出身の偉人「田代三喜(たしろさんき)」を思い出せず、帰宅後パソコンで検索した。

「田代三喜- 寛政6年(1465年)4月8日、伊豆国の豪族に生まれたが、父兼綱の代に武蔵国越生に移住。 鎌倉の妙心寺の僧になり、1487年『明』に渡り、当流医学を学び1542年帰国。 帰国後、下野国足利に移住し、古河公方に招聘され(古河公方の)ご典医となり、1524年武蔵国に戻って関東一円を往来して医療を施し、多くの庶民を病苦から救った」

と在る。  その後三喜は、足利学校に在籍していた曲直瀬道三と出会い、後継者として医術を指導し、「後世派医学」の開祖、「医聖」と称されたのだ。

 太田道灌が急な雨に蓑を借りようとあばら家に入ると、家の若い女性に「山吹の枝」を折って差し出され怒ったが、部下から兼明親王の和歌「七枝八重花は咲けども山吹の・・・」を教えられ、以後和歌に励んだ-という話が在るが、その当時(安土桃山時代)の若い女性が文学(和歌)を学んでいた証拠-なのだ。



毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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