封書を出そうと久々に隣町の郵便局に行くと、シャッターが下りていた。
集配業務は行われていたのだが、「職員に(コロナ)感染者が出たので、臨時休業」とのこと。 止む無く、同町の出張所へ出向き切手を購入投函したが、郵便業務窓口だけでも代用者或いは集配業務員が対応出来ないのだろうか? 民営化したのに・・・
ところで日本では、梅田のクリニックや共通テスト東大会場前で起きた「独り善がりな」事件が社会問題化しているが、アメリカでは民主主義の根幹を揺るがす「集団的偏見」が救いようの無い「Donald Trump(トランプ元大統領)」に因って増大されようとしているのだ。
さて、今日は阪神淡路大震災が起きた日だ。
今から27年前の、1995年1月17日5時46分52秒、明石沖を震源とした「兵庫県南部地震」が起きたニュースは、テレビ界は元よりマスコミ報道で国内に大きな衝撃を与えた。
僕が知ったのは現役時代の、八戸で「三陸はるか沖地震」の損害調査をしていた時だったが、本社から「応援に来るように!」と緊急電話が入り、八戸から大阪長堀橋に在る本社に入ったのだ。
記憶では、(地震保険の)「支払い基準」が調査の途中で変わったのだ。
例えば、建物損害の場合、布基礎(コンクリートの基礎部分)のひび割れが複数個所在れば「一部損」として支払い対象になるのだが、調査の途中で、「支払基準が変わるかも知れないから、1か所でもひび割れが在れば『一部損』で認定するように」
支払基準が「出来るだけ支払うように」となったのだった。
1ヶ月の業務を終えた後、電車が不通だった長田地区にも行き、市内の本屋で被災写真集を購入した。
「兵庫沖南部地震」はその後「阪神淡路大震災」と変ったが、国を挙げての復興事業だったが、都市型震災だったからだろうか、復興に向けてのボランティア活動が起こり、後の新潟中越地震でも東日本大震災や熊本地震でもボランティア活動が盛んになった。
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