新聞記事から

 大阪・箕面市に住む崔聖子(チェソンジャ)さんの発案で立ち上げた日替わり食堂「コムカフェ」の記事が在った。 韓国生まれで大阪に来た崔さん達は、日本語がままならなかったことでいじめを受けた経験から、在日外国人女性が自立出来るようボランテァで支援する箕面市国際交流協会を立ち上げた。  現在、15か国25人の在日外国人が登録し、日替わりで得意な料理を提供するレストラン「コムカフェ」は2013年に市の文化交流センター内に設立したと言う。

 住まいの付近に、日本語がままならない人が居たら、僕は積極的に声を掛けるだろうか?

きっと、その人に興味を覚えればそうするだろうが、大抵見過ごすのだろう。

今、テレビ番組では「昭和の出来事」を放映している。 僕にとっては全てが記憶に残っていることだが、そのことが再び起きた場合の「教訓」として、どの程度心得が出来ているだろうか?

例えば、金嬉老事件だ。  同様の事件が僕の周辺で起こる可能性はほとんど無いが、貧しさから、長い間の虐遇から起こり得る事件に対し、どれだけ関心を持ち、積極的に関与出来るだろうか?

とは言え、積極的が良いとは思わない。 関心を持ち、深く関与すべきか否か-判断する能力が大事だ。

 金嬉老は在日韓国人だったために、日本人なら罪状からすれば極刑を受けただろうが、刑務所内でも特別扱いとされ、最高裁で無期懲役刑となったが、韓国に送還され、韓国内では英雄扱いされたのだが、韓国でも事件を起こし服役した。

 当時の処罰に対する意識の曖昧さなのだろうか? 儒教思想故だろうか?

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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