今日は、「東京駅完成記念日」だと言う。
明治5年(1872年)、新橋駅から横浜桜木町駅間に日本で最初の機関車が走っ
た26年後の1908年、上野駅から新橋駅間の工事が始まり、6年後の1914年に東京駅が完成したのだそうだ。
社会人になり就職した会社の所在地は日本橋3丁目、八重洲通りと中央通りの交差点角に在った津村中将湯ビルだったので、東武東上線終着駅(池袋駅)で地下鉄丸の内線に乗り東京駅で下車。 階段を上ると、そこは東京駅丸の内側なので、八重洲口側への通路を抜けて八重洲に出て八重洲通りを中央通りとの交差点まで歩いたのだが、その後、八重洲地下街が完成すると、地下街から丸の内側に抜ける地下道も出来た。
6年ほど通った「東京駅」だが、八重洲口側は日本橋から銀座、新橋を通る都電通り(中央通り)と東京駅を結ぶ通り(八重洲通り)への出入駅口なので、初期の東京駅は丸の内側が出入り口(玄関口)だったのだろう。
それは駅舎を見れば一目瞭然。 タイル張りの堂々とした建物は、建設当時は野っ原で八重洲側は湿地帯の先は海で、皇居側(丸の内側)に皇室の貴賓出入り口を造ったのだ。
駅舎は辰野金吾の設計だが、タイルは渋沢栄一が生まれ故郷の深谷市上敷免に工場を造り製造したものだ。 なので、深谷駅も東京駅そっくりのタイル張りだ。
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