日経新聞 社説「春秋」

 今朝(7月9日)の「春秋」欄、

「明治に入って、武士が給与として米や金銭を貰う仕組みは廃止された。 代わりに氏族が受け取ったのが今で言う国債だ。 旧津軽藩士たちはその運用をしようと、銀行の設立を考えた。 渋沢は手厳しかった。「氏族の救済だけの銀行ではダメだ」と説いた。・・・  地域で銀行を営むことの意義を考えさせる逸話だ。 地元の発展を手助けするという役割を、旧津軽藩士たちは教えられた。

 ところが今、地銀の多くは国債や外債の運用に依存する。 マイナス金利運用のもと、・・・銀行本来の役割を十分に果たしているように見えないのは残念だ。・・・」

 組織と言うものはその内部から崩壊が始まるのだが、それが政治の世界ばかりか経済界でも起こるのだ。 地域企業を支援する、育てる-地域に密着しているであろう地銀は(既設の)企業への融資や新規起業が難しいのだろうが、「密着している筈」だとすれば、タネを見出せるだろう。

 我が町でも特産品とする「桂木ゆず」を地方創生助成金を使って売り出そうとしている。

柚子或いはユズの加工品は馬路村(高知県)を始め各地で生産され、既存の市場に打って出る乃至は新規市場を開拓するのは相当な覚悟を必要とするのだが、我が町の現体制には、その様な気概を見つけ難いにも拘らず、ムダを承知で議会も通過し、ほとんどの住民は知らされぬまま日常を送っている。

 (都議選もそうだが)選挙結果は、「選んだ有権者の責任だ」と言う。

そうならば、「結果が違っていたので、やり直したい」と思うが、4年間じっと忍ぶしかない。

「有権者って、義務で投票するが、責任は選ばれた議員に在るんじゃないの? 選んでくれた有権者の意図を忖度して、議員は期待通りにやるんじゃないの・・・。」

ところが実際は、住民が用意してくれた椅子だから座り心地が良く、××委員会やら××会議に出ると体良くお膳立てされ、偉くなった気分になる。 お膳立てシステムに乗っかるのでは無く、リードしなきゃダメだろう! 

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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