宮沢賢治の詩歌に、「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」が在るが、その歌の続きには、「・・・皆ニ 木偶(デク)ノ坊ト呼バレ 褒メラレモセズ 苦ニモサレズ ソウイウモノニ私ハナリタイ」となる。
辞書には「でくのぼうとは、役に立たない人、気の利かない人」と在るが、宮沢賢治が「そういう人になりたかった」のは「何のためらいも無く、分別が出来る人」なのだろう。
「年令を重ねる」ことは社会生活を重ねることであり、100人居れば100通りの考え方が在り、100の意見が出て来るだろうことを体験した筈なのに、
僕が住む町が誘致した(クリーニング)工場の排水が、既存の排水処理場では無く田圃の用水路に流されることを知った耕作者たちは、町に対し改善の請願を要望したところ、町長は自らのブログで、
「町の将来展望や計画に賛同いただけたが、いきなりの請願となったことに怒りを感じ・・・」たと書き、「これから10年後に、どうすべきかを考えていただき、地域の発展を0にしてしまうような動きは・・・残念だ」と主張した。
行政は、その地域の異なる性質を尊重して受け入れる環境づくり-であり、首長は自分の立場が理解出来ずに居る住民を説得するのでは無く、異見に充分耳を傾けて大凡誰もが納得出来るよう修正すべきなのだ。
住んでいる地域のリーダーとして、住民の総意の上で実行すること。
自分の意図に沿わないからと怒りを感じているような人には、リーダー役はご免被る。
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