10年以上前に、親父の実家から「渋柿が生っているんだが、誰も取る人が居ないんだ。 良かったら採らないか?」と誘われて、30個程度採って(当時所有していた)草津のマンションの10階で干したことがあったが、久し振りにチャレンジしてみようと親父の実家に行くと、「良いよ、いいよ・・・何時でも来て採って良いよ」
なので早速、高枝鋏と段ボール箱を持って渋柿採りをした。
庭の植木剪定で高枝鋏は使い慣れていた筈なのだが、挟んだ枝を掴んだまま手にするには、柿を鋏の「ツカミ」側にしなければいけないのだ。
が、下から「ツカミ」がどちら側か見えなくて、カットしてしまうことがあった。
採取した渋柿のヘタ先の枝残し、ヘタを取って包丁で皮を剝き、剥いだ柿を紐の両端に縛って、10秒程度お酢入りの熱湯で湯煎して吊るした。
さァ、後は夜露や雨に当たらない様に、時によっては除湿した室内に取り入れて、1週間程度して外皮が硬くなり始めたら指で揉み、タネを揉み出すのだ。
話は変わるが、
「行蔵(こうぞう)は我に存す。 毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あずか)らず、我に関せずと存じ候。 各人へ御示し御座候とも、毛頭異存これなく候」
これは、勝海舟が福沢諭吉へ送った書状の一部分だ。
「自分が信じたことを行うが、それについて他人は批判するだろう。
だが、批判を恐れて自説を曲げたり妥協したり憶病になってはしてはダメだ」
無血開城を成し遂げ、江戸を戦禍から守った勝海舟。
茂木敏充元外相を幹事長に、林芳正氏を外相とした第二次岸田政権。
厳しくなった対外政策を二人に託す・・・
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