復興(3月11日に思うこと)

 今日は朝から本業のシゴトで、「山富貴」に入ったのは13:30を廻っていた。 

「今日は遅いですね」との女将の声に、「ええ、仕事が在ったので・・・」

運ばれた「更科蕎麦」をいただき、少々熱かったコーヒーも早々に飲み干し、鴻巣の契約者宅に着いたのは14時半過ぎ。

東松山市内の契約者宅にも寄り、16時半過ぎの帰宅だったが、散歩に17時頃には出ることが出来た。

 サア、土手の花は果たして「アマナ」か?

披針形の6個の花被弁は白色が基調の赤紫の筋が入った、将に「アマナ」だった。

花被弁の裏側にも赤紫色の筋が入っていて、別の場所には開花していない花があり、赤紫色の筋が在った。

 さて、今日は3月11日。

14:46p.m.の時報と共に黙とうをした。

その時は自宅に居たのだが、我が家の揺れは驚くほどで無く、TV画面から流れる津波被害や原発被災の映像、更に交通網の遮断に因る帰宅者の騒動。

非日常の凄さに引き付けられていたが、数日後のガソリン不足、計画停電騒動や被災者の受け入れ等々、身近な震災体験しかない将に傍観者なのだが、「復興」と言う言葉が気になる。

 「復興とは、災害によって衰えた被災者及び被災地が再生すること」

とある。 更に、「災害前より良くなる」ことでは無く、「一度衰えたものがふたたび盛んになること」とも言われる。

「生きているから・・・」とある被災者の言葉だ。

東日本大震災での関連死者行方不明者2万2200名余の方々には「その後」は無い。

生きている人々のその後の生活の表現なのだ。

そこには一人ひとりの違いが在り、その後に生を受けた人の環境差も影響するのだろうし、ヒトは未来に向かうしか無いのだ。 「生きている」「生きて行く」ことなのだ。


毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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