僕が住む町に、ほぼ全戸が「渡邊(わたなべ)」姓或いは「関口」姓の箕和田(みのわだ)と言う地区が在り、小学生の頃のことだったと思うが、渡邊君が、
「俺んちは、『豆まき』をしないんだ。 昔、『渡邊綱』と言うサムライが居て、鬼を退治したんだ。 それから、鬼は『渡邊』姓の家には来ないので、『豆まき』をしないんだ」
疑心暗鬼だったが、素直に「ふ~ん・・・」
今日は、立春の前の日「節分」だ。 いつもなら、立春は2月4日。なので、節分も2月3日の筈だが、「和こよみ(暦)」は太陽暦を使用し、立春は「太陽の黄径が315度になるとき」と決められていて、そのために2021年の立春は「2月3日23時58分50秒」と計算され、節分は(その前の日の)2月2日となるのだが、明治30年以来の124年振りだと言う。
さて、節分の「豆まき」の「マメ」とは何だろうか?
農作物の「大豆(だいず)」の意では単純過ぎると思うのだが、隣の鳩山町の庁舎の所在地は「鳩山町大豆戸(まめど)」なのだ。 漢字表記は「大豆」だが、読み方は「まめ」なので、以前に役場に行き尋ねると、「この辺りは『水はけの良くない地』なので、『魔ね土』と言われ、それが『まめど』となった」と言っていたが、真偽は定かでは無い。
次に、「(心の内なる)魔を滅しよう」と言う意だ-と言う説を聞いた。
確かに宗教の世界、特に儒教の世界観では、自らの心身を鍛えるために「修行」が在り、内なる心の邪心との戦い-なので、「鬼は外(邪心を取り除く)」のだろう-が、それなら個々人が密かにやれば良い。
もう一つの「まめ(忠実)」だが、「人間、何事も忠実(まめ)にやろうぜ!」なのだ。
これはナットク出来るが、面白くない。
しかし、ヒトの短い人生で、突拍子も無いことをしでかして「名を残す」より、泰然として同じことを繰り返すことが、この地球上での仕組みなのだろう・・・
仕事を終え、「TOP」で恵方巻を買い、3時を過ぎて何時ものように散歩に出た。
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