昨年4月、飯塚幸三氏が起こした自動車事故(池袋暴走事故)の初公判が昨日開かれ、今朝のTV各局は特集を組み批評していた。
「アクセルペダルを踏み続けた記憶は在りません。 車に何らかの異常が起きて暴走した。 暴走を止められなかった・・・」との罪状認否発言は、誰もが認め難い「言葉」だ。
「無罪を主張するのは本人の権利だけど、車の不備を主張する-など、どこかひとごとの供述。
事故の悲惨さから考えて、もう少しご自身の責任と向き合うべきではないか・・・」
との八代秀樹弁護士のコメントも、優しすぎる・・・
中野信子さんは言う。
「・・・こうやって、責任を他の人に求める姿勢が(官僚社会で)出世するのに重要だったのでは・・・そう言う人しか生き残れない(官僚)社会に日本はなったのか(?)と、絶望的になるんです・・・」
被災者側の無念さは、加害者を非難する言葉をしまい込む・・・
だが、ここにもう一つの物語-加害者の家族が在る-
加害車両に同乗していた飯塚氏の母親は、ICUに20日間の入院で一命を取り留めたが自責の念で今でも苦しみ、加害者家族に向けられるバッシングは時には加害者に代わり「自殺」さえも起こる。
明治6年に司法卿・江藤新平が発令するまで、尊属を殺した者への「仇討ち(復讐)」が日常化していた日本。
孔子が言ったと言う「罪を憎んで人を憎まず」も、犯罪を犯した女性をイエスがどう裁くか試そうとした者に対し、「あなたたちの中で、罪を犯したことの無い者が居たら、先ずこの女性に石を投げなさい」と言うと皆その場から離れた-と言う逸話を実行しようよ!
自粛警官では無く、目撃したら通報しようよ!
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僕の車には自前のドライブレコーダーが在るが、保険会社にコネクトされたドライブレコーダーは毎日「安全運転」を求めて来る・・・ ので、後続車を気にしながらの走行にも慣れた・・・
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