昭和17年4月18日(土) 8時20分 警戒警報発令さ(れ)る。
珍しいことだと別に気にも留めず、12時半昼休み帰宅途中に空襲警報発令さ(れ)る。
すわ空襲と、巻き脚絆に戦闘帽で役場へ出掛ける。 役場は未だ悠然たるもの。
軍に対しての絶対信頼から-である。 見方機の爆音しきり、空襲警報たり兎角悠然としている日本人の姿が嬉しく感じる。 2時近く爆音聞こえる。 「おっ!高射砲の音だ!」と見な外を見る。
収入役が、「おや⁉ 変な飛行機だ! バカに早い! 敵機かな?」・・・
海を越えて、鉄壁の防空陣と言われていた東京へ、(まさか)米軍機が攻めて来るなどと誰もが予想していなかったことだった。 それが、東京・狛江に住む一般人の戦争体験の初めなのだった。
戦災家屋251、死者39名、負傷者311名-
これは、東京・狛江に空襲警報が初めて発令されたときのA氏の日記の1ページなのだが、それから78年後-東京に発令された「緊急事態宣言」。
「KOVID-19」との戦いだ。
・・・
話は変わるが、今NHK総合TVでは「第2回さよならプライバシー」を放送している。
スマートフォンを通して、「位置情報」から「日常生活」をデータに蓄積されている現代社会-否、デジタル社会。 利便性に取り込まれた現代人の宿命なのか?・・・
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