昨日午後は河本屋脇の伊藤さんちの畑の雑草刈りをし、疲れて10:00㏘前に寝た。
だが、活性化した筋肉は疲労感が取れると夜中に動き出し、1:00㏂頃から新聞を読み終えて何時もなら改めて寝入るのだが、ウトウトしながら布団で過ごし4:30㏂頃から庭掃除、燃えるゴミ出ししてひと寝入り出来、8:00㏂頃に目が覚めて身支度してパート先へ向かった。
パート先では9:00過ぎに学校給食センターへの配達、サイボクでの上司と一緒の配達兼挨拶、日高カントリーへの配達を終え一旦帰社。 その後は、入間カントリーと弓削田醤油への配達をし、昼頃の帰社となった。
すると、加藤会長が、「(仕事も兼ねて)遊喬で、(一緒に)蕎麦でも食べませんか?」
で、ご馳走になった。
1:30㏘過ぎの帰路、雑草刈り用の手袋と腕カバーを買いにホームセンターに寄り、飲み物や野菜をスーパーで買って帰宅して身支度、伊藤さんちの雑草刈りに出掛けた。
さて、EU離脱で国を二分する「ブレグジット」について理解出来ていない部分が在るので改めて勉強してみようと、ネットでEU日本政府代表部に勤務した経験のある山下一仁氏のコラムを見た。
先ず「EU」とはそもそも、1958年にドイツ、フランス、イタリア、ベネルックス3国間の交易関税を撤廃した欧州経済共同体(EEC)から始まったのだ。 その後次々と加盟国が増え、1968年にはCustoms union(関税同盟)とCommon agricultural policy(共通農業政策)が完成し、「フランスの農業とドイツの工業の結婚」と揶揄されたが、各国独自の農業政策(保護政策)もフランスの強い要望で単一市場が確立し、やがて統一通貨にまで発展した-のだ。
しかし、それまで様子見していたイギリスの場合、プロテスタントが多く住む北アイルランド地域とカトリック系の人達が住むアイルランド共和国との宗教問題は長年の課題だったがEU参加で一旦は平温化したかに見えたが、イギリスの運命がロンドンでは無く(EU本部の在る)ブリュッセルで決められてしまうのではないか(?)と言う主権回復問題が再燃、EU離脱が2019年3月に国民投票で決まったのだ。
だが、離脱条件でEUは一歩も引かず、「最長2020年末まで、イギリスは(EUの)関税同盟、単一市場に止まる」こととなったのだが・・・
イギリスの中でもEUを強力に推進したい北アイルランドと離脱推進のブリティッシュ(イギリス本土)は将に国内を二分し、ジョンソン首相の弟(下院議員兼閣僚)は国益を考えて辞任した。
You can't always get what you want(ローリングストーンズの歌)なのだろう・・・か
0コメント