一昨日、女房が「(女房の)叔父が亡くなった」との連絡を受け、詳細が分からず叔父宅に連絡を入れると、「13日8:00㏂から鏑苑(富岡市)で葬儀」とのことで、今朝は6:10㏂にマイカーで家を出た。
叔父の住む村は群馬県内1の過疎村で、現在の総人口が1,000名程度(人口密度=6.1人/㎢)なのだ。 それ故叔父は、「子は県外に住み、妻を10年以上前に亡くした独居老人」で、しかも集落には住宅が10戸以上在るにも拘らず、「生活している世帯数は2世帯でしかも高齢世帯」が現状なのだ。
だから-と言う訳では無かったが、鏑苑に7:45㏂に着いたにも拘らず、駐車場には車が1台も無く、建物の出入り口に置かれた表示板にも、叔父の葬儀を示すものが無いのだ。
その上、叔父とはこの10数年音信不通であったし喪主への連絡先も「判らない」と言う。
苑の事務所が開くのを待って聞くと、「火葬が行われる時間が、8:30㏂から」とのこと。
しかも、葬儀は地元(上野村)葬祭場での家族葬とのこと。
なので、僕は火葬には参加せず、1:00㏘頃からの葬儀に参列した。
参列者は、集落の方を含めて15人程で、亡くなった叔父の弟や妻の実家を継いだ義弟は葬祭場に姿を見せなかった。
亡くなった叔父の性格やこれまでの生活の結果、兄弟姉妹やら親戚関係にほころびが出たのだろうが、亡くなった者の身内位は参列すべきだろう。
50年以上前になるが、マイカーを購入するまでは女房の実家に帰る交通手段として藤岡市まで電車で行き、藤岡からバスを乗り継いで終点で下車するのだが、終点バス停から実家までの距離が7km程在り、しかも山の登り道。 なので、作業用の車を持っていた叔父にいつも迎えに来て貰っていて、
しかも、飲めない叔父は僕のために地酒「鬼面山」を用意し、鹿の肉やクマの肉をホウロクで炒めてくれたのだ。
僕にとって、「嬉しい関係」がしばらく続いていたが、(何時の日だったか忘れたが)或る日から「(叔父の家には)立ち寄らないように」との義母の希望で疎遠になったのだが・・・
人の暮らし、社会の在り方-
イスラエルでのユダヤ人の「キブツ」。 ロシアの「コルフォーズ」では無い、武者小路実篤の「新しき村」の思想に近い「共同体」。
欲望から逃れるのでは無い。 互いを尊重し、農場や工場は愚かあらゆる分野で働いた利益を共有する共同体。 一つの在り方かも知れない。
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