藤原定家の日記「明月記」に、「友人の求めに応じて書き写した百首の色紙を、文歴2年5月27日京都嵯峨の小倉山荘の障子に貼った」と記して在ることから、今日5月27日を百人一首の日とした。
百人一首とは、100人の歌人が詠んだ和歌を一人1首づつ選んだ和歌集を言うが、立夏から小満の季節を詠んだ歌は4首とのこと。
• 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香久山
• 夏の夜は 未だ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ
• ほととぎす 鳴きつる方を眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる
• 風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりけり
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さて、今日の昼飯だが「更科蕎麦」と「オコゼの刺身」だった。
店内に入ると先客は2組だったが何時も座る席に客が居たので、奥の4人用テーブルに座るとイワタニさんがウエルカムセットを持って来て、
「一昨日は済みませんでした。 会長が具合が悪くて突然休業にしたんです」
やがて女将が来て、
「主人が(松の枝を剪定中に落下し受傷の後遺症状で)埼玉医大病院平行神経科の紹介で町の耳鼻咽喉科でクスリを貰ったのよ」
そうか・・・ソレで臨時休業だったのか・・・ もう4,50年前の現役時代になるが、交通事故の被害者が目眩や自律神経失調症を訴えるケースが在った。
だが、その頃は大学病院でも平行神経科が少なく、被害者を昭和医科大学耳鼻咽喉科で受診させたことを思い出す。
加害者の加入する保険会社の人身事故処理だったが、被害者側に立ち保険会社の枠ギリギリで対応した記憶。
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