18日のNHK総合TV「歴史秘話ヒストリア」を偶々見た。
西ヨーロッパの覇権争いが大航海時代になると、東の果て黄金の国(日本)の支配争いになったが、当時の日本は戦国時代を経て織田・豊臣から徳川時代を迎える時で、儒教思想で形成して来た日本社会の中、貿易(日本製品の販売)で鉄砲などの軍需品を購入するバーター取引すべく平戸経由で来たオランダ、ポルトガル系の(キリスト教)布教絡みの織田(信長)貿易に嫌気していた豊臣秀吉は「伴天連(バテレン)追放令」を出し、キリスト教の唯一主義や宣教師の野望を止めようとした。
天下統一を目指し争っていた大名たちは、情報収集に躍起になる中でキリスト教(宣教師)の野望に拒否反応を覚えていた。
その中でウイリアム・アダムスは、家康の心理に答える形で布教活動する各団体の目的等を分析報告した。 情報に合点が行った家康はアダムスを250石の旗本に重用し天下統一に役立ったが、結果的に祖国イギリスへの帰国は儘なら無かった。
生死を掛け、夢を追って辿り着いた異国(日本)で、協会側の意向に逆らい家康に仕えたアダムスは、三浦按針として日本では名を残したが、所属したフリーメイソンイエズス会からは受け入れられなかった。
「虎穴に入らざれば虎子を得ず」
目的を達成するために初心を貫くのも良いだろう。
「郷に入っては郷に従え」
生活、居場所が変われば、習慣や風俗も変わるものだからそれに従え-
立場立場で変化に備えることが重要なのだろう。
ウイリアム・アダムスと三浦按針は同一人物だが、同じ人間では無い。
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