日本では今日、8月15日を「終戦記念日」として、政治団体やNPO等によって平和集会が開かれている。 この日は、玉音放送に依り前日に決まったポツダム宣言受託および日本の降伏が国民に公表された日なのだ。
そこで国は、今年も武道館で「全国戦没者追悼式」を開催したのだが、参加した岸田首相は安倍元首相の式辞を踏襲し、「我が国は戦後一貫して平和国家としてその歩みを進めて来た」と言い、
「先の大戦では300万余の同胞の命が失われました・・・ 今日私たちが享受している平和と繫栄は、戦没者の皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものであることを私たちは片時も忘れません・・・戦後我が国は、一貫して平和国家としてその歩みを進めてまいりました・・・戦争の惨禍を二度と繰り返さない-この決然たる誓いを貫いてまいります・・・」
「資源を求めて」なのだろうが日中戦争で始まった「戦争の時代」は、多くの戦没者を生んだが、その過半数は戦死では無く(食料が補給されないことに因る)飢え死に、野垂れ死にだった。 旧大日本帝国陸軍の体質と高級参謀と最高指導者たちの、無能・無策・無責任体質がもたらしたものだった。
その流れが太平洋戦争を引き込み、勝ち目の無い戦いで在ることは明々白々だったにも拘らず、大量餓死・病死をもたらした日本軍の責任は・・・と問いたくもなるが、日本人には忖度を意識する、協調性を求める体質改善、否、放棄することが出来るだろうか・・・
太平洋戦争に突入する前に、幾らでも止めることが在ったのに
国民一人ひとりに「止めるチャンス」が在ったのに・・・
戦没者を悼む前に、戦争を最小限に留めるよう努力すべきだろう
話を変えるが、
BS番組で「阿波踊り」を見た。
阿波のある地区で行われていた先祖を悼む盆踊りが、太平洋戦争で消滅した徳島市内で踊られたのを機に市内全域に広がり、海外でも話題になったことで年々イベントが改良されたのだ。 将に、日本人の特性そのものなのだろう。
もう20年以上前になるが、徳島の西祖谷での「そば祭り」にオーナーとして参加すべく、東京湾からフェリーで徳島港に降りた折り、阿波踊り会館に立ち寄ったが、八尾市の「おわら風の盆」を見たように、一度行きたいものだ。
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