五百羅椀(ごひゃくらわん)

 今日は、昼飯を抜いた。 否、「ろくすっぽ」仕事をしなかったし、コーヒーを3杯で充分だったからだが、その後の予定も無かったので何時もの喫茶店に向かった。

「あらっ、明けましておめでとうございます。 今日から始めたんですよ・・・。昨日まで、川越のギャラリーで展示会場の飾り付けをやっていたもんですから・・・」

「母の作品展の準備で忙しい」と、聞いていたので、何時からオープンするか不安だったが幟が立っていたので入いると、先客が一人いた。

間も無く夫婦二人の来客が在り、「こちら、小鹿野(町)の窯元の方です」と紹介を受けた。

店主が指導している焼き物教室の生徒の作品を焼くために、窯元との打ち合わせ-だと言う。

窯元の窯は「登り窯」で、「(作品の)土によって、窯w選ばなければいけない」し、「(作品の)数によって、作品を何処の位置に置くか」などを打ち合わせするのだと言う。

 窯元との話が弾み、亡くなった店主の夫の作品(焼き物)の話になり、店主が夫の作品の写真集を持って来た。

写真集の題名が「五百羅椀」なので、題名に興味を持ちながら開けて見ると、ご主人の作品(焼き物)、しかも「お椀」の作品だけの写真集なのだ。

そして、写真集を作成する意義が見出し書きに在った。

「一日一椀、一期一会への想い」と在り、「平成21年夏、私の身体は・・・進行していました。・・・残り500日を一日一日と思うと、いろいろの事象もこれまでとは別の色合いの見えました。・・・」

と在り、『放心する私のもとへ、見舞客の言葉の断片の「五百羅漢」が飛び込んで来て』毎日お椀を作成して五百羅漢に捧げようと決めた-とのこと。  喜多院(川越市)の五百羅漢をいめーじしたらしい。

写真集の作者の経歴に、「京都学芸大学西洋画科退学。 武蔵野美術大学入学。」と在ったので尋ねると、「私が東京の大学に入学したので、追っかけて来たの!」

 更に、中学の教員だった父親が、「教え子とは言え、3人も自宅に呼び寄せて育てたため、私の大学受験料やら学費が無く困った」こと、「息子の嫁が子を連れて出て行ってしまい、相手の親と話し合ったのだが、私より10歳位若い親だったけれども話が噛み合わず、年代の差を味わった」ことなど、互いの内輪の話しに進展したのだが、それが例え親子で在ろうと、社会生活に「多様性を認識し認めること」の重要性で在るにも拘らず、僅かの友人だけ(の意見)を参考に(安直に)決めてしまう傾向が見えることが淋しい。 能力に反し、安直な人間のままで良い-などと早合点しなさんな!

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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