孫たちを連れて、久し振りに隣町に在る観光地「黒山三滝」に行ったのだが、無料の駐車場から三滝までは上りの山道で1㎞以上歩かなければならず、それでも3歳の孫は懸命に歩いてくれたので助かった。 この黒山だが、日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一の(見立て)養子だった渋沢平九郎が自害の地なのだ。
平九郎は渋沢栄一の妻・千代の弟なのだが、栄一が徳川慶喜の弟徳川昭武のパリ万博視察団の随行員として渡欧したときに養子となり、栄一同様江戸に出て文武に励んでいたが、(徳川)慶喜の無血開城に異を唱えた平九郎のの兄・尾高惇忠(おだかあつただ・富岡製糸場初代工場長)らが彰義隊を結成したためこれに参加。 その後、慶喜が水戸に謹慎されると慶喜の守護役として振武軍を結成し、官軍と能仁寺(飯能市)を舞台に戦ったが多勢に無勢。
飯能から故郷・深谷に戻ろうと山道(現奥武蔵グリーンライン)を抜ける際、黒山付近で追っ手に遇い重傷を負い、自害したのだ。
今の時代なら如何様にも出来たであろうが、渡欧中の栄一とは連絡も出来ず、文武共に優秀だった平九郎は時代の流れで自害の道を選んだのだ。
栄一は帰国後大蔵官僚となり、退官後は第一国立銀行(現みずほ銀行)を設立。 他に、東京海上火災保険、東京ガス、王子製紙、東急電鉄、帝国ホテル、秩父鉄道、キリンビールなど多くの企業を設立した。
親子でも兄弟でも、個々人の選択でその人生は大きく変わる-のだろうか?
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