蕎麦食いの僕にとって「お薦めしたい蕎麦屋」は、更科そばでは上田市の「おお西」で、田舎では木曽福島の「時香忘」です。 共に長野県内の蕎麦屋ですが、同時に「店主の努力の賜物」の結果、近代の切り蕎麦の歴史に登場するであろう人物なのである。
即ち、「おお西」の店主大西利光氏は、更科粉を水捏ねで打ち、そばの実を発芽させてつくる「発芽蕎麦」の考案者で、「時香忘」の店主時田典和氏は過去の蕎麦打ちを踏襲せず、例えば‟水回し”のときの水の量は通常40~50%ですが、時田氏は80%も使うことも在り、「挽き立て打ち立て茹で立て」を大事にして来た蕎麦打ちに対し、数日間数か月間冷蔵庫で寝かせることを実践する時田氏。 元もと蕎麦アレルギーだった商社マンの時田氏と内装工事の経営者だった大西氏だが、二人ともチャレンジ精神に溢れ、これまでの蕎麦打ちを変革させる存在です。
ところで日本には伝統を大切にする文化が在りますが、そこには「常にチャレンジする精神」の存在が必要ではないでしょうか?
日本には「老舗」が多く存在しております。 このことは世界的には珍しいことなのですが、単に「日本人は伝統文化が好き」なのでは無く、そこに「日々の革新」の存在を知るからなのです。 創業者の才覚で起ちあがった事業は、2代目以降は没落に向かう一途だろうし、残る事業には必ずその企業独自の技術が存在する。 明治18年創業の田中貴金属工業は、髪の毛の1/8(8分の1)ほどの細い極最線を製造する技術で、世界中で使用される半数以上のシエアーを確保している。
一方、西暦578年飛鳥時代に創建された社寺建築の金剛組や西暦1000年平安時代から続く和菓子屋「一和(いちわ)」は、変わりゆく流れの中に「伝統を維持する美」を見出す文化があるからであろうが、単に「守る」だけの姿勢では廃れていくに違いない。
使用する材料や条件は刻々と変化している筈だから、「伝統を守る」ために日々の努力が在るのだろう。
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