あの日は雪が舞っていた。
今でも当事者然となってしまう2011年3月11日午後2時46分。
資料によれば、2016年3月11日現在、死者数15,894名、行方不明者数2,561名で、人口割(死者+行方不明者÷人口)にした被災者率が高い県は、宮城県が0.46%、岩手県で0.44%、3番目が福島県の0.09%で、市町村別では女川町(宮城)の8.68%、二番手が大槌町(岩手)で、次が陸前高田市(岩手)の7.75%、その次が南三陸町(宮城)の4.77%、続いて山田町(岩手)の4.48%その次が山元町(宮城)の4.29%だ。
だが、東日本大震災関連死者となると東北以外の、例えば埼玉県でもさいたま市に1名居るし、長野県栄村には3名居るのだ。
即ち、災害は確かに被災害地に於ける打撃は大きいのだが、人の心情への影響は様々であろうから、記憶が残る誰にでもドラマが在るであろう。 一人ひとりの心に焼き付いてている3.11.
JR小高駅(南相馬市)前で旅館を営んでいる小林友子さんは、津波が旅館の1階床上まで浸水し、福島第一原発から15㎞だったため避難を強いられ休業を余儀なくされたが、テレビ局のインタビューに笑顔が絶えない。
インタビュアー 「笑顔が絶えませんね・・・」
小林さん 「こんな所で・・・、笑わなきゃ 生きてられないよ。」
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