南牧村(なんもくむら)

 昨日、南牧村に行って来ました。  中澤虎雄さんが自前の炭焼き窯で焼く「とらおのパン」です。 11:30過ぎだったのですが、作り立ての温かいパンが店頭のかごに並んでいたのです。 土曜日だったので、多分3回目の納品直後だったのでしょう。

 先日は、氷結した南牧村の滝巡りが放映されました。 村内には10数か所に滝が在るが、放映された「三段の滝」「象ヶ滝」「線ヶ滝」は特注が在る代表的な滝で、4シーズンで楽しめる。 更に、千歳屋の炭ラーメンと炭餃子も放映されたが、千歳屋の近くには唯一の和菓子屋「信濃屋嘉助」も在る。 しかし、お奨めは「とらおのパン」だ。

生産者の中澤虎雄さんは村の名士で居ながら風流人で、手広く林業を営んでいた-とのこと。

 南牧村は今でこそ過疎化が進んで全国一の高齢化率の村だが、江戸初期の羽沢城主:市川五郎兵衛真親により開発された砥石生産は徳川幕府の御用達となり、国内有数の産地として栄えた。 この市川五郎兵衛真親だが、隣の長野県佐久市甲(旧浅科村)には五郎兵衛真親を祀った神社が在る。 理由は、開発された浅科村一帯の「五郎兵衛新田」だ。

五郎兵衛真親は羽沢城主として甲斐の武田に仕えていたが、武田家が滅びると(徳川)家康から士官の誘いが在ったのだが、真親は武士を廃業し羽沢の名主として帰農すると同時に家康から鉱山開発と新田開発の許可を貰った。

鉱山開発は地元羽沢に在る砥石山の砥石産出に、新田開発は浅科一帯が粘土質の土壌であるが水源が無かったことから、20㎞以上離れた蓼科山の中腹の水源から用水路を作り引き込む計画を立て、私財を投入し4,5年を費やして「つちどい(土樋)」を完成。 今の「五郎兵衛新田」が出来たのだ。  僕は、この新田で営農する碓井 高さんから購入しているが、碓井さんの五郎兵衛米は帝国ホテルの「なだ万」等で使用されている。

 「オアシスなんもく」で「とらおのパン」を買い終え店内を見渡すと、奥の方に砥石も見えたが、目の前に「桃の花」それも濃いピンクの桃の蕾が在ったので2枝を購入した。

枝にはラベルがあり、生産者名・柳沼 歩さんとあった。 南牧の地域おこし協力隊の隊員とのこと。 頑張れ! 埼玉県毛呂山町からエールを送ります!

毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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