現代人類の「平和の祭典」が今日から始まる。
その間のTV映像も話題も、「祭典」のコンセプトを表現したり取り上げることより、自国選手の活躍が中心になるのだろうが、1964年のオリンピック体験時のワクワク感の無さは、年齢の為せるところ(所為)なのだろうか・・・
さて、夏の行事である「お盆」だが、僕が住む地域は昔、養蚕中心だったので、養蚕がひと休みになる今頃(新暦の10日遅れ)で、次男坊の僕は今日、実家の連中達との墓参だった。 墓地は一族郎党の墓地のため本家が一番奥で、13代目の実家の墓は出入り口に在り、歩いて10分足らずの所にあるので、少々の汗の代償に、毎度ビールと手づくりを馳走になるのだが・・・
それにしても、
「東京2020」の開会式を観ていると、観客のいない競技場を205の国或いは団体が行進しているが、何のために?
映像を盛り上げるため? 「宣誓」は誰に向けて?
若者によるダンスは「未来」の象徴なのだろうが、高齢社会排除なのだろう。
ドローンによるエンブレム映像は、技術競争の表現なのか・・・
虚ろ うつろ・・・ この映像を100年後に見たら、感動が湧くのだろうか・・・
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