五味淵伊次郎医師

 第一次世界大戦の末期1918年3月4日、アメリカ陸軍の訓練基地ファンストンの兵士が発熱して起きたインフルエンザは数日で500名余に感染し、その兵士たちが戦地のヨーロッパ各地に配属されたため一気にインフルエンザが拡大、それが大戦終結の引き金だったのだが、戦争当事国は兵士の戦意喪失を嫌って秘密にしていた中で、中立国だったスペインだけがインフルエンザ感染を公表した。

そのため「スペイン風邪」と言われ、僅か2年の間に感染者は6億人に膨れ上がり、当時の日本(大正7年~9年)でも患者数が2,300万人、死者38万人とされているのだが、政府や公的機関以外の一開業医が書き残した記録は珍しく、栃木県矢板の医師・五味淵伊次郎が書いた「大正7,8年の世界的流行性感冒の見聞録」は日本では唯一の資料で、現在国会図書館で保管されている。

「秋季落葉の候に入るや、飛電新聞紙上にスペイン感冒の大流行を報ず。 欧州に米大陸に南洋に東亜に、頻頻(ひんぴん)たり、十数日を出でして我が国土に侵襲し、まもなく東京に流行を報じ、二十日ならずして我が(栃木県)矢板町地方にも伝染せり・・・」

飛行機が渡航手段で無かった時代にも拘らず、「スペイン風邪」があっと言う間に世界に広がった状況が見え、日本に、しかもド田舎の矢板にも感染が広がったのだ様子が記載されているのだ。

 当時の新型インフルエンザ「スペイン風邪」は、今の新型コロナウイルスの比では無かったろうが、戦争、兵士を介した感染が公表を遅らせたことがパンデミックの最大原因だった・・・

現在の「COVID-19」でさえ、一部の能力の無い政治家に因る被害は散在しており、住民の積極的な参加が重要なのだ。

 話変わって、今日の「山富貴」での昼飯は「田舎蕎麦」だったが、付け足しは「蛤の真薯(しんじょ)」- 日本料理店だったのだ。


毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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